【書評】「孤独を包む三十六℃の言葉たち」
孤独は、怖いものだろうか。
一人暮らしのワンルームの壁を見つめて、ぼんやりと考えを巡らせる。
―怖いときも、あるな。
仕事をして稼いだお金でこの部屋を借り、曲がりなりにも自分の力でこの都会で生きている。それだけで「素晴らしい」と満足できる日もあれば、震度2の地震にさえ怯えて泣き出したくなる日もある。ざわざわと波打つようにそんな繰り返しをしている。だけど、それは終わりのないものだと、どこかで諦めてもいる。だから大概のことは飲み込んでしまい、見なかったことにしているのだ。
「ロンリー・コンプレックス」は、そうやって目を逸らしてきたことを容赦なく突きつけてくる。ぬか漬けをぬか床から取り出し、周りのぬかを丁寧に取っていくように、ひとつひとつの「ざわざわ」を洗い出していく。恋愛に、仕事に、お金に。著者の唯川さんとその周囲に溢れる成仏しきれない孤独をまとった二十代シングルたちの悩み。もう、文字だけで痛い。
だけど、痛いだけでは終わらないのが唯川さんだ。そこから暴き始めるのは、孤独の正体。孤独は他人と比較することで生まれるものだということ。
「他人と較べて、それを羨んで、いったい何が残りますか」この一文がすっと体の芯に入り込んだとき、今まで感じてきた不安も寂しさも、それでよかったのだと、じんわりした温かさがこみ上げてきた。
初めて読んだときは小学生で、ぬくぬくと両親の元で暮らしていた私にはこの本はフィクションであり、遠い大人の世界のお話だった。二十代シングル女性の都会での日々は、まぶしく、輝いてさえ見えた。
今私はその世界のちょうど真ん中にいる。唯川さんはその少し先、この世界を抜けた場所から、もがきながら生きる私たちに教えてくれている。孤独はただ怖いものじゃない、孤独は始まりにだってなるのだと。その言葉の温度は、ちょうど三十六℃くらい。安心感のある人肌の温度。文体も気さくで、目の前に座った友人が励ましてくれているようだ。焦らなくていいよね。私はちゃんと前を向いて生きているよね。この答え合わせに、唯川
さんは力強くうなずいてくれるだろう。
まもなく終わる二十代。寂しい日もある。でもそれでいい。小さく上げてみた口角をゆっくり戻して、このワンルームで私は今夜もひとり眠る。
唯川 恵著『ロンリー・コンプレックス―私が私であるために』(集英社文庫, 1998年)
に対する書評。2015年8月3日 山本蓮理