Renlie's log 2

東京で活動する音楽/言葉/お菓子作家・蓮理のブログです。

落書きする才能。

昔から、絵が 描けない。
いや、正確には、絵の具を使って風景画…とかなら賞をもらったりしたこともあったし
まあ普通だったと思うのだけど、「落書き」ができない。
なんだかとてつもなく恥ずかしいのだ。

ときどきカールモールを手伝っていると、前日にスタッフの関根くん(金魚)が書き残したメモなんかがあったりする。
彼は必ず絵を描く。
それはそれは可愛い。
私のメモには色もなく、絵もない。
それはそれはそっけない。
「!」とかでさえ最近まで使えなかったのだ。
メールでも、絵文字や顔文字に感じるハードルの高さは大山くらいある。

落書きをしたことがないわけじゃない。
ただ、ひたすら「目」の絵を描いていたことならある。
だけど授業中とかに書くものの殆どは、詞だったり散文だったり記憶にある歌の歌詞だったり、いつも「言葉」だった。

落書きができないのは、幼い頃に培われたプライドの高さのせいもあると思う。
私は授業中にあてられて、答えに自信がなかったり、国語の授業で感想文を読めとか言われると急に泣き出したりしていた。
できなかったのではない。
中学校くらいまでは学年で一二を争うくらい頭は良かった。
でも、そのせいか、間違うことが怖くなった。
完璧でないものを外に出すことがとても嫌だった。
だから、美術なんかだと誰よりも時間をかけて風景画を描くことで、自分の「できない」部分を隠していた。

小学校の頃からピアノを習っていたが、本当に練習しなかった。
週に一回のレッスンがあって、その直前だけ練習したりして。
ママが見かねて、「勉強ばっかりやっててもいい大人になんてなれないから!」と言って怒ったことがある。
ママは学校の先生なのに。(ちなみに「勉強しなさい」と言われたことはない)
本当にびっくりした。
でも、同時に凄く悔しかった。
その頃の私のアイデンティティの全ては、「真面目」であり、「勉強ができること」だったから。
今思うと本当に目の前1メートルくらいしか見えていないプライドなのだけど、それが全てだった。

その後の私は、高校で自分は大して勉強ができるわけではないことに気付き(進学校で頭いい人ばっかり集まっていた)、
勢い余って不登校にもなって、
バンドをやったりイベントをやったりその関係で知り合った大人にいろんな世界を見せてもらって、
大学で上京して、今も音楽やイベントを続けていて。
「弁護士か医者になるんでしょ」と言われていたあの頃の面影は殆どない。

だけど「落書き」ができる人に会うと、「この人にはきっとかなわないな」と無意識に思うのは、
きっとあの頃の真面目な自分に対する劣等感の名残なのだろう。
今更落書きできるようになろう!とも思わないのだけど、
関根君、センチメンタル岡田くん、はなちゃん、わかばちゃんとか、
絵を自然にかける人が周りにたくさんいて、私はいつも癒されながらうらやましがっているのです。

「落書き」っていうのは、私が絶対に現世では手に入れられない才能だな。

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