純潔のハム理論。
純潔というものについて、少し考えさせられることがあり、
高校時代の同級生と話していました。
彼女曰く「私にはハム理論という持論がある」。
女の子は生まれる時に、ハムの人がお歳暮にくれるようなハムのかたまりを持って生まれてくる。
そして男の人と付き合うたび、関係するたび、触れ合うたびに
そのハムを切り、渡していく。
大小の差はあるが、渡している。
人生の途中で新しいハムをくれる「ハムの人」は現れないから、
ハムは生まれた時に持っているものが全て。
これをひたすら切り崩している。
いつか自分が全てをあげたい、と思う人が現れた時、
果たしてハムは残っているのか。
私が考えていたことがまさに、「純潔には限りがある」ということだったのでとても腑に落ちたのと、
同じこと考える人がいるんだなということに感動しました。
いくらでもあると思って、なんとなく誰かと付き合ったり、
周りがやっている気軽さから水商売をやってしまう。
そんなことが蔓延しているし、そしてそれが大して咎められることのない世の中です。
私自身もそうだった部分があるし、
それを少し大人、とか割り切った格好良さだと思ったりしていることもあった。
だけど、最近は違うと思うようになったのです。
本当に守りたいものができた時に、自分を恥じないでいられるか。
本当に好きになった人が、そういったことを受け入れてくれなかったらどうするか。
冒険心や、「私はこれくらいで変わりはしない」という自信はあっても、
それは、本当に後悔しないものでしょうか。
考えてみると、私は少し後悔していたりします。
もちろん、後悔してない部分もたくさんある。
それは「経験」として誇れる部分。
だけど友人のハム理論がこれだけ頭に残っているということは
やっぱり大事にしたいものが私にはあったみたいで。
これに共感してくれる方が男女問わずどのくらいいるかは分からない。
だけど、手遅れになって後悔する人がいるなら、
少し考えてみるのもいいと思うよ。
写真は角島大橋。
山口の中でもめっちゃ綺麗なところです。
※明日5/10(火)は、カールモールのオープンマイクです。
ぜひご参加ください!